いま僕は17歳で、人生で最も美しい時期だといってかまわない。菩薩のようにしとやかに美しく、しなやかに緊張した精神は円熟の極みに到達し、ホンマグロだって仕留められそう。気分よりも確かな、感情と呼ぶにはあまりにも方向性に欠けたこの内的状態は、だけど、そう遅くないうちに綻び、損なわれる予感はある。その予感だけが憂鬱にさせる。おそらく年を取ることを恐れるようになってはじめて、人は後退戦を強いられるようになるのだろう。かつて成長と呼ばれた変化は、今後は端的に「老化」と指摘されるだろう。脳細胞はぷちぷちと弾け、膝は痛み、肩が上がらなくなる。偏頭痛、下血、胃酸過多。毎年の健康診断に血圧の心配と育毛剤の使用。狂気としてのLOHAS及びアンチエイジング……現在の僕はいわば「こわいものなし」といっておおげさでないけれど、反逆を赦されぬ数々の困難、ほとんど敗北の決定した運命を少しずつ引き受けていかなければならないのだろうか。「それ敗北主義じゃないの?」。少し迷って「それは違う」と応えた。真剣に二次元の世界に飛び込んで「俺の嫁」との永遠の愛を育もうと企てる男が存在している。美貌を保とうとコラーゲンを額に注入する女が存在する。「現代の病理」と理性は傾いたイントネーションで告げる。だが、そのような存在が存在しているという事実に流れる涙は、そんな理性を残らず殺してくれるだろう。「挑戦するっていうのが大事ってこと?」。僕らは勝利を獲得しなければならない。望むものがなんであれ、望むのであれば「永遠の愛」を生きるし、「永遠の17歳」を生きるはず。敗北主義はすっかり飼いならされた家畜どもに任せておこう。たとえ後退戦を強いられようが、咳き込み、骨が砕け、目がかすもうが、咳止めシロップを嚥下し、骨をくっつけ、爽快な目薬をさし、望む一点に向け、あらゆる詐術を用いて進行をつづけよう。そして、シニシズムと聡明さを取り違える連中に、犬を嗾けるのだ。そろそろ始業のベルが鳴る。踵をアスファルトにぺったりとつけることを教育と僭称する時代がずいぶんと長くつづいてしまったことを嘆くのは止め、代わりに僕らの勇気一つで、新しい訓練をはじめるのだ。