「私のママン」(1)

私のママンは少しばかり神経質なところがあって、高校生になった娘(私のこと)に携帯電話を持たせこそすれ(でも強力なフィルタリングつき)、いまだにインターネットに接続させてくれない。情報というのはとても危険なものなのだ、というのがママンの言い分で、なるほどたしかに言うまでもなく聞くまでもなく、それはママンが身にしみて感じていることなんだろうと思う。いまはそうでもないけれど、以前はそれでノイローゼになってしまったことがあるらしい。いろんなことを知ってしまったあとに、たとえばテレビ、ラジオ、インターネット、新聞、週刊誌に触れるのを止めたとしても「そのことがいっそう疑心暗鬼を生む」のだという。「一度知ってしまえば、取り返しがつかない」のだ、と。そういうものかもしれない。ママンは、べつに取り立てて有名になりたかったわけでもないのだから、そのぶんだけ根拠レスな噂には苦しめられたんじゃないだろうか。だからこそ、私が世の中のことを知ることによって傷つくことを心配しているのだろう。でも私のいとこは、高校生の時分からパソコンに触っているし、もちろんネット環境だってあったはず。私が中学生だったとき、ママンだって「高校生になったらインターネット環境も整えてあげるから」と言っていたのに、こんなのってひどい。大学に行ったら行ったで「卒業したら」とか「結婚するまで」とか約束をどんどん先延ばしにして、問題の解決は結局はずっと先のことになってしまうんじゃないだろうか。やっぱり海外留学? でも、できるのかな。複雑な手続きをしなければならないだろうし、面倒なことも多いだろうし、外に出たらダイレクトに自由(いまの私は不自由です)ってわけにもいかないんだろうけれど、それでもいまよりは。ママンだって若い頃はイギリスに留学してたんだし、反対はしないんじゃない、か、な、どうだろ? どうだろう……問題は私に対する嫉妬が生じるか生じないかっていうところにありそうな気がする。ママンは、たぶん、私が本当の意味で自由になることを望んではいない。公平にいって私は恵まれているほうだと思うし、そんな安穏とした幸福のなかを生きることについて、ママンはまったくもって肯定的な気持ちを抱いていると思うのだけれど、それはあくまでも、この静かで、緑に囲まれた、大きなお家のなか、多くのものに守られて生きている、そんな限定があってこそ、なのだと思う。私がここから飛び出して、自由を自由に謳歌することを、ママンは決して赦さない。ママンは私のことを愛している、と思う。だけど、同時に、心のどこかで、私を憎んでいる。私はもう16歳になるのに、ママンの分娩はまだ終わっていないんだ。
(つづく)